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| 第1回『市電の歴史と山鼻』 第2回『開拓の歴史と山鼻』 |
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馬車、馬そり、馬車鉄道、そして市電へ。
時代が変わっても、山鼻線はずっと変わらず。
街ができ、人々が暮らし、そしてそこから始まった交通の歴史。
いまも札幌市民の重要な足である市電は、
札幌の街の歴史とともに、いろいろな変化を遂げてきました。
そんな中でずっと変わらずに育まれてきた、
市電と山鼻のやさしい関係。
それは山鼻に暮らす人々にとって永遠に心に映される、
故郷のかけがえのない光景ではないでしょうか。
札幌の交通初めて物語は、馬の活躍から。
時代は明治。その交通手段となったのはもっぱら馬車と馬そりでした。それが明治の末から「きちんと走る道を敷設して馬車を走らせる」という馬車鉄道に変わっていったのです。そもそも馬車鉄道というのはもともとは石切山の石材を搬出するのが目的で、石切山から山鼻村界まで運行したのが最初。そこからさらに石山通りを北上して北5条西11丁目へ出て右折し、札幌停車場までを結んでいました。当時は1頭の馬が馬車を引き、客車は12人乗りだったという記録が残っています。馬は北海道開拓にもなくてはならない重要な存在であったと同時に、生活の足としても大きく役立っていました。
地下鉄誕生後も、市電は変わらぬ山鼻の風情。
そして大正7年(1918)にこの馬車鉄道を電化するという形で、札幌に初めて電車が登場しました。最初に開通した路線は南一条線(南1条西15丁目〜東2丁目)、停公線(札幌停留所前〜中島公園)、南4条線(南4条西3丁目〜東3丁目)の3線で、四輪単車26人乗りでした。
その後、市電山鼻西線が開通したのは昭和6年のこと。昭和46年に地下鉄が開通してからは、路線の廃止などによって大きく様変わりしましたが、山鼻線はずっと変わらず。窓に藻岩山を映しながら、いまも大切な市民の足として活躍しています。
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第1回 市電の歴史と山鼻 |